MIZUIRO PANTYU

広末涼子、浄化計画

ただ1つの指令

草をすってエッチなことをしたり、ご飯を食べていると

これ以上の快楽なんてないだろう、という気分になる。

 

たぶんその直感は正しくて快楽なんて所詮こんなもの、ということがわかります。

問題はこれを教訓としてどう意味づけをするのかということ。

 

どんな手段を使ってでもいいから生き延びろ、という指令を受けたらどういうふうに生き方は変わるだろうか。ワーカホリックの例と一緒で、生きることがドーパミンの出処となる。

 

指令もドーパミンとなるかもしれない。

これはつまり指令を中心として倫理が改変されているということだ。

 

人間の倫理はこのように簡単にかわる。

それは人間の歴史が、虚像を信じるという能力のうえで、生き残ってきたことからも十分にわかることだ。

 

「どんな手段も」と言っているので、考え方の変化さえ要求されている。

何を肯定するのか、何を否定するのかが、瞬時にその倫理観によって判別される。

これは素晴らしいことではないか。

 

たかが一行で人生が変わるということであるのと同時にそれ以上複雑だと機能しないということも示唆している。

 

生きている体験が欲しいだけ、とジョーセフキャンベルは言うけれど、

そのことをはっきりと体感するにはどうすればよいのか。

そんなに難しい話ではないはずなのだけど。